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過去のブログ集

タイムマシン - 過去のブログ集では、1997年4月から2007年10月までのブログ記事を集め、掲載しております。

グレゴリー・コルベール展

投稿日:2007-5-17   カテゴリ:アート
お台場のノマディック美術館で開催されている グレゴリー・コルベール展に行って参りました。

「ashes and snow」は写真作品、映画、美術、小説、建築が一体となったプロジェクトです。
そしてノマディック美術館は、ashes and snow専用の移動美術館。
鉄製貨物コンテナが活かされて、ず〜っと居たいと思うほど落ち着く空間でした。

像と少年曽呂とが向き合うこの写真に引き寄せられて行って参りましたが、偉大なる神の化身である像に祈りを捧げる少年曽呂の聡明さがなんとも美しく、謙虚です〜〜〜っと癒されていく心地よさがありました。

人間が操るペットという動物との関係ではなく、像や鳥や鯨や鷲やあらゆる動物にやどる魂と人間の魂が通わせる愛の交流がここまで神秘的で美しく表現されるのははじめてです。

6月24日まで開催されているのでぜひぜひ必見の価値がございます。

日仏現代作家美術展

投稿日:2006-11-17   カテゴリ:アート
父の弟にあたる叔父の作品が品川区長賞を受賞したというので、はじめて叔父の作品が展示されている美術展に行ってみました。

売れない画家として親族にレッテルを貼られてきた叔父の作品はその昔、我が家に飾られていた生きるために描いた作風とはまるで違い十数年前にようやくたどりついたテーマ「縄文」に魅せられてからすっかり様変わりしていました。
そのさなかに昨年脳梗塞で左半身が麻痺してしまうというアクシデントにより、一層 作品への情熱がこみ上げたそうです。

その出来映えは、チカラ強く生きるエネルギーに満ちあふれとてもポジティブでした。
「天命」を感じました。
天命を全うすべく出直しのリハビリは強烈に大変だったそうですが、その試練を抜けた叔父の顔もオーラもすべてが進化していると感じました。
66歳の生きるパワーは ここからだなって思いました。

長男と次男という父との関係も、その昔は一番目の上のたんこぶのような存在であったと思いますが、お互いに敬意をもって会話する二人のやりとりを眺めながら 絆の素晴らしさを実感しました。

おじさんすご〜い!! 
めちゃめちゃ感動だよ〜〜〜!!!

つい舞い上がり症の私の言葉は軽かったかもしれません。
でも深く深く感動しました。
今更ながらおじさんを誇りに思う 姪っ子より。

不思議なことに高畠ワイナリーのまほろばの里は縄文が誕生した地ということで、何か大きなエネルギーでつながっているように思います。
1万年前の未来へのメッセージ
収穫祭の夜に観たあのまぼろしの夜の虹とワインと、叔父の絵のかけはしになるような、まほろばの歌をつくろうと思いました。

あらたなるコラボレーションの夢が生まれた日でした。

藤田嗣治展

投稿日:2006-5-20   カテゴリ:アート
東京近代美術館へ藤田嗣治展に行って参りました。

「生誕120年〜パリを魅了した異邦人 」と銘打たれた100点の作品が年代ごとに展示されていました。
時代と変化に伴って作風が変化してゆくのですが、戦争絵画は地獄絵巻そのものです。
戦犯呼ばわれされ日本を捨てた藤田嗣治はパリへと戻りフランスへ帰化してしまいます。
戦前に海外に住んでいた日本人はみな一様にスパイ呼ばわりされたりで悲しい傷跡を背負い日本を離れる方が多かったそうですが、彼もその一人であったわけです。
戦争絵画とは打って変わり、戦後は子どもをテーマにイソップ寓話など動物の作品やこどもの姿が多く観られます。
美しき乳白色の裸婦などはその透明感に吸い込まれます。
晩年は洗礼を受け教会の壁画なども書かれており、日本屏風のような風合いも混ざって独特な作品が目立ちました。
生涯変化し続けたその作風の根底は「異邦人の目線」とも言うべく大いなる好奇心であったのでしょうか。
どこの国にも属さないような宇宙的な子どもの顔が私はとても好きでした。

そのこどもはまさしく作者自身であったのでしょう。
永遠に子どもの好奇心を失うことなく描き続けた藤田嗣治の世界に息づく生命力を実感した日でした。

伯父は絵描きさんで、絵でご飯を食べることの難しさを身に沁みていましたから、一番好きなことでご飯を食べることのありがたさを私は伯父から学んでいたのかもしれません。
そんな伯父は脳梗塞で利き手が麻痺しながらも懸命にリハビリをし、今もう一度ドイツへと飛び立とうとしております。
なんかそんな伯父を想いながら一点一点に込められたドラマを想像して見て周りました。
私の腕をしっかり組んで迷子にならないように一緒に歩いた伯母はきっと、亡くなった姉である義母と私を重ねながら、まるで少女のようでした。

いがったな〜〜〜。しみじみ・・。